2014年7月20日
江戸の古地図をみながら。

皆様、梅雨の季節が毎日蒸し暑い最中、毎日いかがお過ごしでございますか。
最近は何かと時間に追われる現在社会において、少し昔に戻り、半蔵門周辺を紹介したいと思います。
と言ってもタイムスリップするわけではなく現在も歴史好きな人には大人気の『江戸の古地図』をもとに半蔵門周辺を歩きました。
江戸図や切絵図といった江戸時代の町の区割りが版画で印刷された古地図は、二十一世紀の現在になっても依然として人気の高い出版物ですが、はじめはスケッチされた見取り図のようなもので、描かれているものも、城や池、川、寺院など、主要なランドマークくらいで、町屋に至っては町名だけで住人の名前はほとんど無視されていたみたいです。そのため、庶民への流布が目的だったのではなく、内輪の関係者への道案内や製作者自身の記録用に使われたものであったと推測されているみたいです。詳しい説明は省きますが、以降、江戸図は次々と改定されるとともに、大・中・小版が制作れたようです。
現在の皇居の西、一番町から六番町にあたる一帯。細かい路地が入り込み、無数の武家屋敷が建ち並ぶ様子があり、当時は表札もなかったため、初めて訪れる人の多くが道に迷っていたという。
江戸地図として、見附図や吉原図、芝居町図といった特殊図など各種が作成されたが、爆発的な大ヒット作となったのが、江戸市街を地区ごとに分割した『切絵図』でした。
その切絵図をもとに半蔵門周辺をご案内していこうと存じますが、まずは始めに半蔵門周辺の風景を感じていただきたく簡単に少し歩いてみました。
というのも、『切絵図』の制作のきっかけとなった迷宮の一番町から六番町。
江戸時代に番町と認識された地域は、現在の行政地名として残っている範囲よりもはるかに広い。半蔵門・四ツ谷駅・飯田橋駅、そして九段下駅に」囲まれた一帯すべてが番町に含まれていました。
安政五年(1858年)版『番町絵図』は、そんな番町を網羅した一枚でした。ひと目でわかるが、整然とはしているものの、所狭しと武家のお屋敷が建ち並ぶ一帯でした。
現在は、近代社会の建物と融合している半蔵門、半蔵門と近代建物が江戸が東京と名を変えてから、一世紀半経った今の風景を撮りました。
今回のオススメは、皆様に散策に役立つよう一つの参考書として『図説東京の今昔を歩く江戸の地図帳』
(青春出版社さんより)を紹介したいです。【江戸図】【切絵図】の詳しい解説はもちろん
これを読みながら町の散策をすると今の東京がもっと面白いですよ。
フロント 齊藤吉