今後の展覧会
山王美術館コレクションでつづる エコール・ド・パリ展
- 会期
- 2025年3月1日(土)~ 7月31日(木)
- 休館日
- 火曜日・水曜日(ただし、4/29,5/6は開館いたします)
- 開館時間
- 10:00~17:00(入館は16:30まで)
- 会場
- 4階展示室
- 入館料
- 一般 1,300円
大学生・高校生 800円
中学生以下 500円
*中学生以下、保護者同伴に限り2名様まで無料 - お知らせ
- *山王美術館は日時指定予約制ではありませんが、展示室が混雑し、一定の人数をこえた場合には、入場制限をさせていただく場合がございます。ご理解、ご協力の程お願い申しあげます。
20世紀はじめ、「芸術の都・パリ」には、世界各地から多くの芸術家が集いました。若き芸術家たちは、モンマルトルの「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」や、モンパルナスの「ラ・リューシュ(蜂の巣)」といったアトリエ集合住宅に集住し、交流を深めながら制作に励んだのです。
のちに「エコール・ド・パリ」と呼ばれた一群の芸術家たち。その多くは、フランス国外からパリへと渡り、モンパルナスを中心に集まった画家・彫刻家たちでした。ロシアのシャガール、スーティン、イタリアのモディリアーニ、ブルガリアのパスキン、ポーランドのキスリング、日本の藤田嗣治、さらにフランス人画家のユトリロやローランサンらが代表的な画家とされます。彼らは、特定の流派や美術運動のように、明確な芸術理論や主義のもと制作にあたったわけではありません。しかしながら、フォーヴィスムやキュビスムをはじめとする新たな芸術様式や理論に刺激をうけ、ときにはアフリカをはじめとする原始美術をも着想源としつつ、それぞれが母国の伝統や民族性に根ざした独自の表現を探究していきました。1920年代に最盛期をむかえ、第二次世界大戦により実質的な終焉を迎えますが、エコール・ド・パリの画家たちにより、多様かつ豊かな芸術がパリに花開いたのです。
本展では、山王美術館コレクションの中より、ローランサン、ユトリロ、モディリアーニ、パスキン、藤田嗣治、キスリングらの作品を展示いたします。
Marie Laurencin
1883-1956
マリー・ローランサン
パリに生まれ、同地にて没。
本格的に絵画を学ぶため私塾アカデミー・アンベールに入る。ここでブラックと出会い、ピカソをはじめとするバトー・ラヴォワール(洗濯船)に住む前衛芸術家たちと親交を結ぶ。1907年、ピカソの紹介で詩人アポリネールと知り合い、恋愛関係になる。1914年に、ドイツ人男爵と結婚し一時ドイツ国籍となったが、1921年に単身パリへと戻り、離別。ふたたびフランス国籍となる。1921年、戦後初の個展が成功をおさめる。1923年に描いた肖像画が評判をよび、上流階級の婦人たちからの注文が相次ぎ、社交界においても人気を博す。パステルカラーの色彩とやわらかな筆づかいによる独自の画風をつくりあげた。
1883-1956
マリー・ローランサン
パリに生まれ、同地にて没。
本格的に絵画を学ぶため私塾アカデミー・アンベールに入る。ここでブラックと出会い、ピカソをはじめとするバトー・ラヴォワール(洗濯船)に住む前衛芸術家たちと親交を結ぶ。1907年、ピカソの紹介で詩人アポリネールと知り合い、恋愛関係になる。1914年に、ドイツ人男爵と結婚し一時ドイツ国籍となったが、1921年に単身パリへと戻り、離別。ふたたびフランス国籍となる。1921年、戦後初の個展が成功をおさめる。1923年に描いた肖像画が評判をよび、上流階級の婦人たちからの注文が相次ぎ、社交界においても人気を博す。パステルカラーの色彩とやわらかな筆づかいによる独自の画風をつくりあげた。
Maurice Utrillo
1883-1955
モーリス・ユトリロ
パリに生まれ、ダクスにて没。
ルノワールやロートレックのモデルを務め、後に画家として活躍したシュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。パリに住む母親と離れ、パリ郊外の祖母のもとで育てられた。12歳よりパリ市内の中学校に通うが、アルコール依存症の兆候などにより1900年に退学。その後、強度の飲酒ぐせを治療するために入院するが、何度も入退院を繰り返すこととなる。絵画を描き始めたのは治療の一環として医師から勧められたためであり、正規の美術教育は受けることなく、独学のままであった。モンマルトルを中心にパリの街並みを描きつづけたが、1908年ごろからは実景に即してではなく、アトリエにて絵葉書や写真を用いて描くようになる。個展が成功をおさめた1919年ごろより評価が高まり、「エコール・ド・パリ」の代表的な画家のひとりとなった。
Amedeo Modigliani
1884-1920
アメデオ・モディリアーニ
イタリアに生まれ、パリにて没。
イタリア・トスカーナの港町リヴォルノのユダヤ人家庭に生まれる。生来病弱であり、11歳から16歳にかけて胸膜炎、腸チフス、結核を患う。15歳より、本格的に絵画の道を志し、母国にて絵画・彫刻を学ぶ。1906年、パリに移住。モンマルトルやモンパルナスに住み、藤田嗣治、キスリングらと交流する。1909年、彫刻家のブランクーシと出会い、石彫に打ちこむが、健康上・経済的な理由により断念。1914年ごろより再び絵画へと転向する。細長く引きのばされた人体を特徴とする独特の様式を確立。。1917年に初の個展を開催するが、意欲的に取り組んだ裸婦像が物議をよぶ。飲酒や麻薬により身体を蝕まれ、健康状態が急激に悪化。意識不明の状態で発見され、パリの慈善病院にて短い生涯を閉じた。
Jules Pascin
1885-1930
ジュール・パスキン
ブルガリアに生まれ、パリにて没。
両親はともにブルガリア系のセファルディム(スペイン系ユダヤ人)であった。ウィーンにて中等教育を修めたのち、ブダペストとウィーンさらにミュンヘンにて美術教育をうける。素描の才を認められ、1904年にはドイツの風刺雑誌『ジンプリツィスム』の挿絵画家として専属契約を結ぶ。掲載にあたって父親からの要求により、本名の「Pincas(ピンカス)」の綴りを並びかえた「Pascin(パスキン)」をサインとして用いるようになる。1905年にパリに出て油彩画に取り組みはじめる。1907年ベルリンで個展、1913年にはニューヨークで開催された「アーモリー・ショー」に出品し好評を博す。第一次世界大戦中は戦火を避け渡米、アメリカ国籍を得た。1920年10月にパリに戻り、モンマルトルに居をかまえながらモンパルナスに通い、キスリング、藤田らと交友する。この頃、うすく溶いた絵具による淡く虹色を帯びた色彩と、ふるえるような細い線描が融合した独自の画風を確立、「真珠母色の時代」と称された。退廃的な生活の末、個展開催を直前に控えた1930年6月2日にアトリエにて自ら命を断つ。葬儀当日の6月7日、パリ中の画廊が店を閉じ、画家に弔意を表した。
Léonard Foujita
1886-1968
藤田 嗣治
東京に生まれ、チューリッヒにて没。
1905年東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科へ入学、1910年に同校を卒業。1913年にフランスへと渡り、ピカソら前衛的な画家たちと交流する傍らで古典美術を研究。1919年のサロン・ドートンヌでは、初出品作6点がすべて入選するという快挙をなし、会員となる。やがて「乳白色の下地」による独自の技法を見出し、1921年のサロン・ドートンヌに出品。その後、審査員に推挙され、エコール・ド・パリの一員として輝かしい名声を得る。1931年に中南米へと渡り、1933年に一時帰国。1939年に再渡仏するが、第二次世界大戦の勃発により、翌年帰国する。戦後1950年にニューヨークを経由し渡仏。1955年にフランス国籍を得、1959年にはカトリックの洗礼を受ける。洗礼名はレオナール。以後、作品には「L.Foujita」または「Léonard Foujita」とサインする。晩年は宗教的主題や子どもを多く描き、自ら設計したランスの礼拝堂のフレスコ画制作に取り組んだ。
Moïse Kisling
1891-1953
モイーズ・キスリング
ポーランドに生まれ、南フランス サナリーにて没。
ポーランドのクラクフにユダヤ人として生まれる。同地の美術学校で絵画を学ぶ。1910年パリに出て後は、ピカソやブラック、モディリアーニらと親しく交流。エコール・ド・パリを代表する画家として活躍。誠実で社交的な性格から、そのアトリエには多くの芸術家が集った。第一次世界大戦では自ら志願し外人部隊に従軍。その軍功によりフランス国籍を取得する。第二次世界大戦中はアメリカに亡命し、フランスに残留した芸術家たちの支援活動にも積極的に関わる。大きな瞳をもつ女性像は、憂いをおびた表情をもつとともに官能性をそなえており、鮮やかな色彩のコントラストと、つややかな質感をもつマティエールが特徴的である。
- 展覧会のみどころ -
ポイント1).
エコール・ド・パリを代表する6人の画家がおりなす多彩かつ独創的な絵画の世界
ポイント1).
エコール・ド・パリを代表する6人の画家がおりなす多彩かつ独創的な絵画の世界
ふたつの大戦のはざま「レ・ザネ・フォル(狂騒の時代)」に花開いたエコール・ド・パリ。芸術の都・パリに世界各地から集った若き画家たちは、アカデミックな規範や様式から解放され、フォーヴィスムやキュビスムをはじめとする新たな芸術様式に刺激をうけながらも、画家自らの芸術表現を模索していきました。
グレーの諧調に淡い色調、やわらかな筆づかいによる優美な女性像の「ローランサン」。哀感ただようパリの街並みを描きつづけた「ユトリロ」。細長く引きのばされた人体、官能的な裸婦像と独特のスタイルを確立した「モディリアーニ」。「真珠母色」と称された淡い色彩とふるえるような線描が印象的な「パスキン」。なめらかな白いカンヴァスに細くしなやかな線描を生かした独自の画風で人気を得た「藤田嗣治」。鮮やかな色彩のコントラストと、つややかな質感をもつマティエールが特徴的な「キスリング」。
エコール・ド・パリを舞台に、独自のスタイルを確立したローランサン、ユトリロ、モディリアーニ、パスキン、藤田嗣治、キスリングらの絵画約30点を展示いたします。
ポイント2).
新コレクション12点を初展示
新コレクション12点を初展示
近年収蔵した、ローランサン5点、ユトリロ1点、モディリアーニ1点、パスキン1点、藤田嗣治1点、キスリング3点の絵画を本展にて初公開いたします。
ポイント3).
「ここでしか会えない芸術作品」
「ここでしか会えない芸術作品」
山王美術館では、2009年のオープン以来、コレクションのみによる展覧会を開催してきました。本展で展示する作品の何れもが、「ここでしか会えない芸術作品」です。本展を通じて、山王美術館コレクションの新たな魅力に触れていただければ幸いです。