山王美術館

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開催中の展覧会

202309「横山大観・梅原龍三郎展」

山王美術館 コレクションでつづる

横山大観・梅原龍三郎展

会期
2023年91日(金)~ 2024年129日(月)
休館日
火曜日・水曜日(12/29~1/3)
開館時間
10:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料
一般       1,300円
大学生・高校生  800円
中学生以下    500円
*中学生以下、保護者同伴に限り2名様まで無料
お知らせ
*山王美術館は日時指定予約制ではありませんが、展示室が混雑し、一定の人数をこえた場合には、入場制限をさせていただく場合がございます。ご理解、ご協力の程お願い申しあげます。

 日本を代表する日本画家である横山大観。明治元年に生まれ、西洋の影響を受け始めた時代において、日本画の新しい潮流を推し進め、明治・大正・昭和と三代を通じて日本の近代画壇を牽引し続けました。

 一方、若き日にフランスに留学した洋画家・梅原龍三郎は印象派の巨匠・ルノワールに師事し、色彩豊かな作風で注目を浴びます。その後は日本画の伝統を洋画の中に融合させた装飾的な日本独自の油絵を生み出します。

 日本画・洋画と画家としてのジャンルは違い、年齢差もある二人ですが、深く日本の伝統に立ち返りながら、近代世界に通用する「日本の絵画」を創造した点に大きな共通点を見いだすことができます。ともに、独自の画境を追い求めた「横山大観」と「梅原龍三郎」。当館のコレクションを通じて二人の画家が築きあげた芸術の世界をお楽しみください。

 

横山大観「日本心神」1946
横山大観「日本心神」1946
横山 大観展
5階 展示室

 明治元年に生を受けた横山大観は明治、大正、昭和と三代にわたり、東洋画の伝統を重んじながらも新しい画風に挑戦し、近代日本画の発展に偉大な功績を残しています。 
 70年にも及ぶ長い画業の中で大観は盟友・菱田春草とともに日本画の伝統的な線描技法ではなく、色彩の濃淡により空気や光を表現する方法を創始します。しかし、そうした試みは世間からはあまり高い評価をされず、曖昧でぼんやりとし過ぎていることから「朦朧体」と揶揄されました。大観らはその後、細かく丁寧な筆致で絵具を塗りこめていく手法で、対象物の明るい色調とはっきりとした輪郭線をとりもどしていきます。この手法により微妙な色の階調や色彩の対比、空間の奥行きの表現を獲得します。

 1910年代には琳派などの装飾的表現を加えることで、色彩を本位とした新たな空間表現を確立していきます。また、水墨画においても墨の濃淡により湿潤な空気感を表現することで重厚さと画格の高い水墨画を生みだしました。日本画の近代化に正面から取り組み、その苦闘により生み出された作画は、質高く、充実したものであり、いまなお我々を魅了し続けます。

 

 本展覧会では当館収蔵の大観コレクションの中から「朦朧体」で描かれた≪布袋≫から大観の代名詞とも言える富士を含む選りすぐりの約20作品を展示致します。
横山大観の世界をぜひご覧ください。

横山大観≪海暾≫1952年/山王美術館蔵
横山大観≪海暾≫1952年/山王美術館蔵
横山大観《東山》1932-1935年頃/山王美術館蔵
横山大観《東山》1932-1935年頃/山王美術館蔵
横山大観《讃春》1951年/山王美術館蔵
横山大観《讃春》1951年/山王美術館蔵
みどころ1). 
当館収蔵「大観コレクション」より選りすぐりの20作品を公開
 
当館収蔵の大観コレクションより、朦朧体による初期作品、大観の好んだ富士、彩色画、水墨画を一堂に展覧致します。明治・大正・昭和と長きにわたる画業での作風や技法の違いを比べながらお楽しみください。
横山大観《布袋》1904年頃/山王美術館蔵
横山大観《布袋》1904年頃/山王美術館蔵
横山大観《不二霊峰》1905年/山王美術館蔵
横山大観《不二霊峰》1905年/山王美術館蔵
みどころ2). 
朦朧体(無線彩色描法)による初期作品

 

今日、一般的に「朦朧体」と称されている無線彩色描法は明治30年代頃、大観と菱田春草を中心に開発された新しい表現方法でした。師・岡倉天心からの「空気や光を表現する方法はないか」という言葉をきっかけとして二人で相談してこの技法に取り組んだといいます。彼らの創出したこの技法は、東洋画で重視されてきた墨による輪郭線を廃し、さらに空刷毛で墨や絵具をぼかすことで、日本画でも空気や光の織りなす繊細な情趣を表現しようとするものでした。しかしながら、彼らの新しい試みは当時の画壇には急進的過ぎ、全てのものがボーッと霞んだように見えることから「朦朧体」と揶揄されます。その後、大観と春草はアメリカからヨーロッパへとおよそ1年半に及ぶ外遊において展覧会を開くと朦朧体は高い評価を得て、作品も高値で売れました。この経験を機に大観と春草は自分たちの朦朧体が琳派を先例にもつ色彩画の挑戦であるとし、より一層色彩による表現の研究を推し進めていきます。

本展では朦朧体によって表現された大観初期作品を展示致します。

梅原龍三郎≪軽井沢風景≫1951-52年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪軽井沢風景≫1951-52年/山王美術館蔵
梅原 龍三郎展
4階 展示室

 大正・昭和を通じて日本の近代洋画界をリードした画家・梅原龍三郎は、京都の大きな染呉服問屋に生まれ、幼少の頃より日常的に友禅染の図案や宗達風、光琳風といった京都の伝統的な装飾美術を目にする環境で育ちました。
 はじめ伊藤快彦の画塾鍾美会に学び、ついで
聖護院洋画研究所、関西美術院で浅井忠、鹿子木孟郎から薫陶を受けます。その後のフランス留学では生涯の師となるルノワールに師事し、ヨーロッパ美術を通して様々な芸術を体験します。帰国後、滞欧作110点による個展を開催し、新進画家としてデビューを果たします。
 以後、
春陽会や国画会といった新しい美術団体の創設に参画するなど、画壇での活発な動きをみせます。この時期はまた、制作面において琳派、南画、大津絵や世界各地の芸術を取り込みながら、日本的な油絵を描くという自身の課題への模索の時期でもありました。転機となったのは、ルノワールの死後、遺族訪問を兼ねた2度目の渡欧でした。渡欧中に伸びやかな筆致と華やかな色彩を取り戻しさらに浮世絵や桃山絵画風の豪華な装飾性が加味された、骨太い線と豪華絢爛たる作品を生み出していきます。
 自由闊達な力強い色彩と筆致による
独自の技法は広く支持され、聖護院洋画研究所以来の盟友、安井曾太郎と並び称され「梅原・安井時代」と呼ばれる一時代を築きます。その後も日本的な油彩画を求めて新しい画材や画風を生涯探求し日本の美術界を牽引しつづけました。
 
豊潤かつ明快な色彩と大胆な形態把握による梅原芸術をどうぞご覧ください。

 

梅原龍三郎≪修善寺≫1927年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪修善寺≫1927年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪ブロンズと牡丹≫/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪ブロンズと牡丹≫/山王美術館蔵
みどころ1). 
新コレクション2作品を初展示

 

当館収蔵後、初の展示となる2作品。 

日本的な油絵を描くという自らの課題へと突き進む過度期に描かれた≪修善寺≫。梅原様式といわれる伸びやかな筆致と色鮮やかな色彩による≪ブロンズと牡丹≫。大きく作風の異なる梅原作品の世界をお楽しみください。

 


梅原龍三郎≪裸婦結髪図≫1930年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪裸婦結髪図≫1930年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪金櫻山≫1936年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪金櫻山≫1936年/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪牡丹黒天目壺≫/山王美術館蔵
梅原龍三郎≪牡丹黒天目壺≫/山王美術館蔵
みどころ2). 
当館収蔵「梅原コレクション」全23点を公開
 

当館収蔵「梅原龍三郎コレクション」、全23点を一堂に展示致します。

2度目の渡欧から戻り、日本の風景にあらためて取り組み始めた時期の作品から、梅原様式の確立後の絢爛豪華な作品まで、梅原独自の画材や技法を駆使した作品の数々をご覧いただけます。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール《裸婦》1918年、山王美術館蔵
ピエール=オーギュスト・ルノワール《裸婦》1918年、山王美術館蔵
黒田清輝《夏(野遊び)》1892年、山王美術館蔵
黒田清輝《夏(野遊び)》1892年、山王美術館蔵

常設展
3階 展示室

山王美術館はホテルモントレ株式会社が50数年にわたり収集したコレクションのみを展示する美術館として2009年、難波に開館、昨年9月に京橋・OBPへと移転致しました。600点におよぶコレクション群は、近代の西洋絵画・日本洋画・日本画・陶磁器・彫刻と多岐にわたります。

本展では日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝をはじめ、安井曽太郎・金山平三・小磯良平の近代日本の洋画にくわえて、日本の近代洋画界に大きな影響を与えたルノワール・ボナールの作品のほか、平櫛田中の彫刻を展示致します。
ここでしかあうことのできない作品をごゆっくりご鑑賞ください。