展覧会のご案内

山王美術館 春・夏季コレクション展2021 全コレクション39点を一堂に展示!「生誕180年 ルノワール展」

期間
2021年34日(木)~ 731日(土)
開館日
毎週 木曜日~日曜日・祝日
開館時間
11時~17時(最終入館 16時30分まで)
入館料
一般1,000
大学・高校生500
(中学生以下、保護者同伴に限り2名様まで無料)
※学生証をご提示ください。
※受付にてチケットを販売しております。
会場
山王美術館 ホテルモントレグラスミア大阪 22階 〒556-0017 大阪市浪速区湊町1-2-3 
お問い合せ
TEL 06-6645-7111(代表)

生誕180年 ルノワール展 ―出品リスト

ピエール=オーギュスト・ルノワール≪裸婦≫1918年、山王美術館蔵

印象派を代表する画家・ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841‐1919)。描くことを楽しみ、人生の悦びとし、生きる喜びと、幸福に満ちた絵画を描きつづけた画家ルノワールの生誕180年を記念し、山王美術館コレクションによる回顧展を開催いたします。

ルノワールは、フランス中西部の町リモージュに、1841年2月25日に生まれます。13歳で磁器の絵付師の工房に奉公し、やがて画家を志すようになりました。1861年より画家シャルル・グレールの画塾に学び、アルフレッド・シスレー、クロード・モネら、後の印象派の仲間たちと交友を深めます。1874年、第一回印象派展に出品。印象派の中心的な画家のひとりとして積極的に参加しますが、1878年からは再びサロン(官展)に応募することを決め、翌年の出品作≪シャルパンティエ夫人と子どもたち≫が高い評価を得、成功をおさめるのです。1881年に旅したイタリアで、ラファエロの絵画やポンペイの壁画に大きな感銘を受けます。印象主義の技法に限界を感じていたルノワールは、古典絵画に導かれ、明確な輪郭線による新たな表現方法へと取り組み始めます。リウマチを発症して後は、温暖な気候を求めて南仏で過ごすようになり、1908年には終焉の地となるカーニュ(現カーニュ=シュル=メール)へと移住し、透明感にあふれた薔薇色の肌をもつ裸婦像を展開しました。

本展では、山王美術館が所蔵するルノワール作品39点を一堂に公開します。50年以上にもおよぶ画業の中で描いた主題は、肖像、家族、風景、花、静物、裸婦そして装飾画と多岐に渡りますが、同時代の女性像を生き生きと描いた印象派の時代から、晩年の豊潤な裸婦像にいたるまで、ルノワールの創作の一端を、その生涯とともに辿ります。

  • 画家をめざして|~1860年代

    1841年(0歳) 2月25日 フランス中西部リモージュに生まれる
    1844年(3歳) 一家でパリに引越す
    1854年(13歳) 磁器絵付師の工房で徒弟奉公する(~1858)
    1860年(19歳) 1月 ルーヴル美術館での最初の模写許可を得る(~1864まで毎年更新)
    1861年(20歳) 11月 シャルル・グレールの画塾に入り、シスレーやモネらと交友を深める
    1862年(21歳) 4月 パリ国立美術学校に入学
    1864年(23歳) 5月 ≪ラ・エスメラルダ≫がサロン初入選
    1868年(27歳) 5月 ≪日傘のリーズ≫がサロン入選、好意的な批評を得る
    1869年(28歳) モネと共にセーヌ河畔のラ・グルヌイエールで制作 印象主義的技法の誕生
  • ≪鏡の中の婦人≫1877年、山王美術館蔵

    ≪鏡の中の婦人≫1877年、山王美術館蔵

    ≪若い女性≫1877年、山王美術館蔵

    ≪若い女性≫1877年、山王美術館蔵

  • 印象派時代|1870年代

    1870年(29歳) 8月 普仏戦争に徴兵、翌年重症の赤痢を患うが快復し、休戦後パリに戻る
    1872年(31歳) 3月 モネに紹介された画商デュラン=リュエルが初めて作品を購入(2点)
    4月 サロン落選(翌年も落選)
    1873年(32歳) 12月末 「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社」結成
    1874年(33歳) 4-5月 「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社」の最初の展覧会(第1回印象派展)に7点出品
    1875年(34歳) 3月 モネ、シスレーらとともに競売会をオテル・ドゥルオで開催
    ルノワールは油彩画20点を売却、うち3点は出版業者シャルパンティエが購入
    1876年(35歳) 4-5月 第2回印象派展(18点出品)
    1877年(36歳) 4月 第3回印象派展(21点出品)
    1878年(37歳) 5月 支援者シャルパンティエの勧めもあり再出品したサロンに入選
    1879年(38歳) 第4回印象派展、サロン応募のために不参加
    5月 ≪シャルパンティエ夫人と子どもたち≫がサロンに入選、評判を呼ぶ
  • ≪マルティーグ≫1888年、山王美術館蔵

    ≪マルティーグ≫1888年、山王美術館蔵

    ≪果物をもった横たわる裸婦≫1888年、山王美術館蔵

    ≪果物をもった横たわる裸婦≫1888年、山王美術館蔵

  • 古典への回帰|1880年代

    1880年(39歳) 第5回印象派展、サロン応募のために不参加(翌年も不参加)
    1881年(40歳) 1月 画商デュラン=リュエルが定期的にルノワールの作品を購入し始める
    2月末-3月 アルジェリアに初の国外旅行
    10月末-翌1月半ば イタリアに旅行しラファエロに感銘を受ける
    1882年(41歳) 3-4月 第7回印象派展(25点がデュラン=リュエルより出品)
    1883年(42歳) 4月 デュラン=リュエル画廊で初の大規模な個展開催(作品70点)
    この頃より「印象主義の行き詰まり」を感じる 古典的様式へと傾倒
    1884年(43歳) この年から6年間サロンへの出品を見合わせる
    1885年(44歳) 3月21日 アリーヌ・シャリゴとのあいだに長男ピエール誕生
    9-10月 アリーヌの故郷エソワを初訪問
    1886年(45歳) 5月 第8回印象派展、不参加(最後の印象派展)
    1887年(46歳) 5-6月 第6回国際展に出品した≪大水浴≫が賛否両論を生む
    1888年(47歳) 12月末 リウマチ性関節炎の最初の発作に襲われる
    1889年(48歳) 4月 健康が快復にむかう
  • ≪イオカステー(ギリシア神話「オイディプス王」より)≫1895年、山王美術館蔵

    ≪イオカステー(ギリシア神話「オイディプス王」より)≫1895年、山王美術館蔵

    ≪チャペルのある風景≫1899年、山王美術館蔵

    ≪チャペルのある風景≫1899年、山王美術館蔵

  • 家族とともに|1890年代

    1890年(49歳) 4月14日 アリーヌ・シャリゴと正式に結婚
    5月 レジオン・ドヌール勲章の授与を辞退
    5月 サロン出品(最後のサロン出品)
    1892年(51歳) 4月 ≪ピアノを弾く少女たち≫が国家買上げとなる
    1894年(53歳) 8月 妻アリーヌの従妹ガブリエルが家事手伝いのためルノワール家へ来る
    9月15日 次男ジャン誕生
    1896年(55歳) 9月 妻アリーヌの生地、エソワに家・土地を購入
    1897年(56歳) 8月 エソワ訪問中に自転車から転落し腕を骨折、慢性関節リウマチを発症する原因となる
    1898年(57歳) 2月 南仏旅行、友人にすすめられ、地中海沿岸の町カーニュを初訪問
    1899年(58歳) 2-3月 リウマチ治療のためカーニュに滞在
  • ≪クロードの肖像≫1908年、山王美術館蔵

    ≪クロードの肖像≫1908年、山王美術館蔵

    ≪バラの花束≫1908‐10年、山王美術館蔵

    ≪バラの花束≫1908‐10年、山王美術館蔵

  • 南仏カーニュの地にて|1900年代

    1900年(59歳) 5-6月 第5回パリ万国博覧会の「フランス美術の100年展」に11点出品
    8月 レジオン・ドヌール5等勲章(シュヴァリエ章)を受章
    1901年(60歳) 8月4日 三男クロード(ココ)がエソワで誕生
    1902年(61歳) この年以降、健康が悪化し激しいリウマチの発作に見舞われる
    1903年(62歳) 4月 カーニュのメゾン・ド・ラ・ポストを借りる(1907年まで毎年滞在)
    1904年(63歳) 10月半ば-11月半ば 第2回サロン・ドートンヌ
    ルノワールとセザンヌの回顧に捧げられ大成功をおさめる
    1907年(66歳) 6月 カーニュのレ・コレットの地所を購入、家を建てる
    1908年(67歳) 11月 新築したレ・コレット荘に転居
  • ≪裸婦と花の習作≫1915年頃、山王美術館蔵

    ≪裸婦と花の習作≫1915年頃、山王美術館蔵

    ≪読書(赤とローズのブラウスを着た二人の女性)≫1918年 山王美術館蔵

    ≪読書(赤とローズのブラウスを着た二人の女性)≫1918年 山王美術館蔵

  • 豊潤な色彩の展開|1910年代

    1910年(69歳) バイエルン旅行からの帰国後歩けなくなり、車椅子での生活となる
    1911年(70歳) 10月 レジオン・ドヌール4等勲章(オフィシエ章)受章
    1912年(71歳) 1-3月 リウマチのため、レ・コレット荘での制作が不便となり、ニースにアパートを借りる
    6月 身体麻痺の発作、二度と歩けないことを受けいれる
    1914年(73歳) 8月 第一次世界大戦勃発、息子のピエールとジャンも徴兵される
    1915年(74歳) この頃より、15歳のアンドレ・ウシュラン(愛称デデ)を新しいモデルとして描きはじめる(のちに次男ジャンと結婚、女優として活躍)
    6月27日 妻アリーヌがニースにて没する
    1918年(77歳) この年 ヴォラール編纂のカタログ・レゾネ刊行(1,741点掲載)
    1919年(78歳) 2月 レジオン・ドヌール3等勲章(コマンドゥール章)受章
    12月3日 カーニュにて78歳の生涯を閉じる