展覧会のご案内

山王美術館 春・夏季コレクション展2018 没後50年 藤田嗣治展 Leonard Foujita

期間
2018年31日(木)~731日(火)
開館日
毎週 月曜日~金曜日(月~金曜日の祝日は開館)
開館時間
11時~17時(最終入館 16時30分まで)
入館料
一般1,000円 
大学・高校生500円 
小・中学生500円(保護者同伴に限り2名様まで無料)
※学生証をご提示ください。
※受付にてチケットを販売しております。
会場
山王美術館 ホテルモントレグラスミア大阪 22階 〒556-0017 大阪市浪速区湊町1-2-3 
お問い合せ
TEL 06-6645-7111(代表)
藤田嗣治≪家馬車の前のジプシー娘≫1956/山王美術館蔵

藤田嗣治≪家馬車の前のジプシー娘≫1956/山王美術館蔵
© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

ここでしか見られない、藤田嗣治!
コレクション28点でたどる軌跡。
モディリアーニ、シャガール、キスリングなど名だたる芸術家を輩出した1920年代のパリ。
「エコール・ド・パリ」と呼ばれる画家たちが活躍したこの時代に、藤田嗣治(1886-1968)は、白い地塗りを施した独自のキャンヴァスに、日本画の墨線に着想を得たしなやかな線描で描いた「乳白色」の裸婦像で人々を魅了し、パリ画壇の寵児と称されるようになりました。没後50年に開催される本展覧会では、初期の風景画・水彩画から晩年多くえがかれた子ども像まで、油彩画を中心とした山王美術館コレクション全28点を一挙に展示いたします。
藤田嗣治がめざした美の世界をぜひご覧ください。

  • 藤田嗣治≪聖児キリスト礼拝≫1918頃/山王美術館蔵

    藤田嗣治
    ≪聖児キリスト礼拝≫1918 頃
    山王美術館蔵
    © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

  • 藤田嗣治

    聖児キリスト礼拝1918年頃

    1913年6月に念願のフランス留学を果たした藤田は、先史時代の美術やギリシア・エジプト美術の研究、またピカソをはじめとする前衛美術家たちと積極的に交流するなかで、自己の表現方法を模索していきます。当時の妻とみへの手紙には、「藤田の画としてほかに何処にもない又真似も出来ぬ立派な忠実な深遠なものをかき上げる」、「自分の画は永久的」などの言葉が綴られています。世界的画家として認められることを希求し、独自の画風を築くために真摯に創作活動にうちこむ若き日の藤田の姿が垣間見えるようです。1917年6月にはシェロン画廊において初の個展を開催し、水彩画110点が開催まえにほぼ売約済みとなるほどに好評を博し、1919年11月に再開されたサロン・ドートンヌでは出品作6点がすべて入選し、パリ画壇における地位を確立していくのです。
    本作は、「東方三博士の礼拝」もしくは「三王礼拝」として知られる宗教的画題で、ジョット、フラ・アンジェリコ、プッサンなど各時代の画家により描かれてきました。藤田は晩年に至るまで数多く宗教画を描いていますが、初期において本格的に取り組み始めたのは1918年頃からのことです。金箔の背景、ほそくしなやかな人体、流麗な線描による装飾的な画面からは、東洋趣味的な趣向とともに15世紀絵画の影響を感じさせます。

  • 藤田嗣治≪自画像≫1931/山王美術館蔵

    藤田嗣治
    ≪自画像≫1931
    山王美術館蔵
    © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

  • 藤田嗣治

    自画像1931年

    1920年代、藤田はキャンヴァスそのものが陶器のように美しく、しなやかな肌の感触を伝える独自の画風を確立し、エコール・ド・パリの寵児と呼ばれるようになります。
    また、作品そのものの魅力はもとより、黒い直毛のおかっぱ頭、丸いロイドメガネ、ちょび髭に、ピアスと印象的な風貌がパリの人々の関心をよび、藤田自身もパリ社交界において人気を博しました。パリの人々がオリエンタリズムを感じた、その独特の風貌を自画像として描き、自らを作品とすることにより、画家としての藤田自身とその作品が、より広く認知されることとなりました。これら自画像の多くは、墨、硯、面相筆など日本の画材を用いて制作する自身とともに、文具やパイプなど日常使いの道具がこまやかに描かれているのが特徴的です。
    パリ美術界において名声を博した藤田ですが、妻ユキとの関係の悪化、世界大恐慌にはじまる不況などが重なり、「欧州の空気に押しつぶされて、どうしても南米の大空を心ゆくまで吸って晴々してみたい」という気持ちから1931年10月に南米へ旅立ったと、のちに記しています。この頃より、画風に変化がみられるようになり、乳白色の画面から濃厚な色彩による作品へと展開していくのです。

  • 藤田嗣治≪パンを持つ少女≫1954/山王美術館蔵

    藤田嗣治
    ≪パンを持つ少女≫1954
    山王美術館蔵
    © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

  • 藤田嗣治

    パンを持つ少女1954年

    戦後間もなくより再渡仏を試みた藤田ですが、ほぼ1年間にわたるアメリカ滞在を経て、1950年にようやくフランスに渡ることが叶いました。1940年の日本帰国から10年ぶりのパリ帰還でした。
    のちに藤田は「フランスに永住するために戻ってきた」と語っていますが、1955年2月には君代夫人とともに、フランス国籍を取得し帰化しています。渡仏後、モンパルナスに居を構えた藤田は、パリの街並みや風俗を描き、やがて子どもを主題とした数多くの作品に取り組み始めます。
    藤田が描く子どもたちは、実在のモデルがいるものではなく、画家自身の創作によるものですが、藤田にとって自らの子どものような存在であり、最も愛したい子どもだったのです。
    本作に描かれた少女は、バゲット(フランスパン)と牛乳のはいったミルクパンを手にしていますが、朝のおつかい中なのでしょうか。同様の主題による少女像を複数枚描いており、藤田お気に入りの画題の一つであったことがうかがえます。

  • 藤田嗣治≪家馬車の前のジプシー娘≫1956/山王美術館蔵

    藤田嗣治
    ≪家馬車の前のジプシー娘≫1956
    山王美術館蔵
    © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

  • 藤田嗣治

    家馬車の前のジプシー娘1956年

    自身がフォトジェニックな存在として、数多くの有名カメラマンの被写体となった藤田でしたが、戦前より自らもカメラを愛用し、デッサン替わりに活用することもあったといいます。家馬車とは、貧民層の住居代わりとなっていたもので、1955年4月号の『アサヒカメラ』には、藤田自身の撮影による「ボヘミアンの車」と題した写真が掲載されています。本作は、自宅からほど近い広場に集まる家馬車を撮影した、その写真とほぼ同じ構図で描かれています。
    フランス国籍を取得してからの藤田は、かつてのように猫や裸婦を描くことは少なくなり、キリスト教的主題と、子どもたちの絵を多く描くようになりました。またそのまなざしは社会の弱者にも向けられ、浮浪者の夫婦や親子の姿を多く描いていることが感慨深く感じられます。

  • 藤田嗣治≪花≫1963/山王美術館蔵

    藤田嗣治
    ≪花≫1963
    山王美術館蔵
    © Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G1118

  • 藤田嗣治

    1963年

    フランス国籍を取得し帰化した藤田は、1959年10月14日にランスのノートル=ダム大聖堂にて、妻の君代とともにカトリックに改宗します。敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチにちなみ、レオナールと洗礼名を授けられました。以降、作品へのサインも洗礼名によるものとなります。また、1961年11月には終の棲家となったパリ郊外のヴィリエ=ル=バクルにアトリエを構えます。本作は、当館コレクションの中で、唯一洗礼をうけて後に描かれたものとなりますが、教会を荘厳する室内装飾画のような神々しい輝きに満ちています。
    描かれているのは桜、紫木蓮、石楠花、ライラックだと考えられますが、いずれも春の花として日本人になじみのある花ばかりです。1933年以降、日本定住中に著した随筆集『地を泳ぐ』のなかで、「日本の花は色に優れて、眼を眩ませて、恍惚たらしめ」と記しており、中でも桜については富士山とともに「われ等の国宝の頭目」であるとして、20年ぶりの桜花を心待ちにしている様がつづられています。東洋画では、梅・菊・水仙・蝋梅を「四花」とし、早春の花の画題として描かれますが、本作は日本の春に思いをはせて春の四花として描かれたものかもしれません。