山王美術館

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幸野 楳嶺 Kono Bairei
1844-1895

京都に生まれ、同地にて没。
幼名は角三郎。
旧姓は安田、のちに父の本姓幸野家を継ぐ。
1852年円山派の中島来章の門に入り、来章より雅号を梅嶺、名を直豊、字を思順と与えられる。1871年に来章の許しをえて四条派の塩川文麟のもとに入門。1873年頃から雅号を楳嶺に改める。来章から花鳥画、文麟から風景画を学び、神山鳳陽について漢籍を学ぶと同時に文人画家たちとも親交を深めた。1878年望月玉泉らと連署し画学校設立を京都府知事に建議。1880年の京都府画学校(現・京都市立芸術大学)設立後は、北宗担当として出仕した。また京都美術協会を組織するなど、日本画の発展と後進の指導、育成に尽力。門下より、竹内栖鳳、菊池芳文はじめ、川合玉堂、上村松園など京都画壇を代表する多くの画家を輩出した。

幸野楳嶺《断崖観瀑図》山王美術館蔵

断崖観瀑図


絹本彩色
127.7×56.5㎝

Viewing Waterfall


Color on silk
127.7×56.5㎝

観瀑図は古来より描かれた水墨画の画題で、作例の多くが唐の詩人・李白の詩にちなみ、李白が岩上から滝をのぞむ姿として表現されています。また、滝図・瀑布図は円山派の画家たちが得意とした画題です。円山派・四条派に学んだ幸野楳嶺。その画風は円山応挙の興した実物写生を旨としつつ、情感豊かでありながら、知性的な構想性を加えたものでした。本作の滝図は、落ち口も滝つぼも画面に収まりきらず、その全容を確認することはできません。ただ、紙幅いっぱいに描かれた水の流れと、岩場までたちこめる水煙がその雄大さを示すのみです。森閑とした山間にこだまする落水の響き。水飛沫をあびて岩肌の苔や木々の香りは一層濃密さをまし、水気をはらんだ風がそよぐ。作品の前にたたずむと、あたかも眼前に滝が現出したかのような感覚にとらわれます。楳嶺は徹底したリアリズムで水の動きを巧みに捉えながらも、空気感までをも描写することで、五感に訴える場面としているのです。