山王美術館

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横山 大観 Yokoyama Taikan
1868-1958

水戸に生まれ、東京にて没。
本名は秀麿。
旧姓は酒井、のち母方の横山姓を継ぐ。
1878年一家で上京。1889年に開校した東京美術学校(現・東京藝術大学)の第一期生として入学。岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ。卒業後は京都市美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)で教鞭をとったのち、母校の教授となった。1898年に同校を辞職し天心とともに日本美術院の創立に加わり、正員として参加。下村観山、菱田春草らと日本画革新運動を推進し、大胆な没線描法など新たな日本画の試みに挑むものの朦朧体と評される。1903年春草とともにインドへ赴き、翌年には天心に従い渡米、1905年に欧州をまわり帰国。各国で展覧会を開き、欧米各地で高い評価を受ける。海外での高評価をうけ国内でもその画風が評価され、1907年より始まった文展の審査員となる。1914年には天心没後の日本美術院を再興し遺志実現につとめた。

横山大観《布袋》1904年頃、山王美術館蔵

布袋

1904年頃
絹本彩色
118.2×55.0㎝

Hotei

c1904
Color on silk
118.2×55.0㎝

「朦朧体」と称された技法を用い、中国唐時代に実在した禅僧である布袋が大きな袋と杖をたずさえて小舟から月を眺めている様子を描いています。元々は契此(かいし)と名乗っていた布袋和尚ですが、所持品や食べ物を袋に入れて持ち歩いていたことからそう呼ばれるようになりました。従来であれば余白として残される空間に空刷毛によるぼかしを多用することで、小舟から月までの空間に靄がかかったような空気を醸し出し、幽寂な気分を演出しています。

横山大観《不二霊峰》1905年、山王美術館蔵

不二霊峰

1905年
絹本彩色
106.5×49.0㎝

Sacred Mt.Fuji

1905
Color on silk
106.5×49.0㎝

神秘的で美しい富士は古くから信仰の対象として神聖化され、数多くの画家によってその姿を描かれていますが、横山大観もまた「大観と言えば、富士山」と言われるほど多くの富士を描きました。1905年に描かれた本作は、大観が富士山を本格的に描き始めた最も早い時期の作品と言えます。画面中央に雪化粧をした眩いばかりの富士が悠々と描かれ、その背景には空刷毛で金泥を刷いたことにより富士を照らす明るい陽光が表現され、作品全体を穏やかで叙情性豊かな雰囲気に仕上げています。大観はこのあと多様な色彩表現を試み、さらに琳派ややまと絵の装飾的手法を大胆に取り入れた色彩本位の「色的没骨法」へと展開していきます。本作は温かみのある色のグラデーションによって空気や光が表現されており、朦朧体からさらに色彩研究を進めている時期の作品と言えます。

横山大観《東山》1932-1935年頃、山王美術館蔵

東山

1932-1935年頃
絹本墨画
55.0×73.2㎝

Higashiyama Mountains (Kyoto)

c1932-1935
Ink on silk
55.0×73.2㎝

1914年に師、岡倉天心の遺志を継ぎ日本美術院を再興して以来、色彩画とともに水墨画にも味わい深い独自の画境を開拓してきた横山大観ですが、1921年頃、中国明時代の程君房製の「鯨柱墨」という名墨を入手すると、その上品なつやと深みのある墨色に魅了され、これ以降、名だたる古墨を使用した作品を次々に生み出していきます。本作は墨の濃淡により湿潤な空気を纏わせた京都「東山」を描いた作品です。墨の濃淡による靄や大気、山容のぼかしなど大観の好んだ表現方法によって、朝霧のたちこめる東山の情趣を余すところなく描写されています。

横山大観《日本心神》1946年、山王美術館蔵

日本心神

1946年
紙本彩色
59.8×73.6㎝

Mt.Fuji-Spirit of Japan

1946
Color on paper
59.8×73.6㎝

横山大観《讃春》1951年、山王美術館蔵

讃春

1951年
絹本彩色
54.2×72.0㎝

Pleasant Spring

1951
Color on silk
54.2×72.0㎝