山王美術館

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アルフレッド・シスレー Alfred Sisley
1839-1899

パリに生まれ、フランス モレ=シュル=ロワンにて没。
イギリス人の両親のもとに生まれ自身もイギリス国籍であったが、生涯の大半をフランスで過ごした。1862年にシャルル・グレールの画塾に入り、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールらとともに戸外制作に取り組む。印象派展には第一回より参加するとともに、サロンへの出品も続けた。1870年代にはセーヌ川下流の小さな村々に移り住みながら制作をつづけ、晩年にはフォンテーヌブローの森近くのモレ=シュル=ロワンに移住。清明な色調による農村や郊外などの風景画を描き続けた。

アルフレッド・シスレー《サン=マメスのマロニエの木》1880年、山王美術館蔵

サン=マメスのマロニエの木

1880年
油彩、カンヴァス
49.3×66.5㎝

Chestnut-tree at Saint-Mammès

1880
Oil on canvas
49.3×66.5㎝

この作品が描かれた1880年は、セーヌ河流のサン=マメスの近くに居を移した年にあたります。樹木を中央に大きく配置する構図と細やかな筆致から、シスレーの関心は何よりも主題となっている対象そのものに向けられていることがよくわかります。印象派の技法がさまざまに変化し広がっていくなかで、シスレーが一貫して印象派設立当初の技法にこだわったのも、豊かな自然の様相を、その時、その場で、自分が見たとおり正確に描きとめておくことであり、それこそが彼にとっての風景画を成り立たせる不可欠の条件であったからにほかなりません。

アルフレッド・シスレー《サン=マメスの堰堤のある風景》1885年、山王美術館蔵

サン=マメスの堰堤のある風景

1885年
油彩、カンヴァス
38.5×55.1㎝

Weir of Saint-Mammès

1885
Oil on canvas
38.5×55.1㎝

19世紀後半、都市化が進むパリやセーヌ河下流に比べ、セーヌ河上流のフォンテーヌブローの森のはずれにあるサン=マメスには、まだまだ緑と水にかこまれた豊かな自然が残されていました。ロワン河と合流する地点にあるこの区域は、古くから交通の要衝として栄えましたが、とくに19世紀後半にはフランス全土を結ぶ運河の中継港となり、特有の広い視界が開けていました。国旗を掲げた平底船や水位を調整する堰堤など、観光地とはことなる人々の生活に結びついた景観はシスレーお気に入りの場所となり、時間を変え、季節を変え、言わば連作のように数々の作品が生み出されました。

アルフレッド・シスレー《オルヴァンヌ川にかかる小さな橋》1890年、山王美術館蔵

オルヴァンヌ川にかかる小さな橋

1890年
油彩、カンヴァス
38.4×54.0㎝

Small Bridge Over the Orvanne

1890
Oil on canvas
38.4×54.0㎝