山王美術館

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モイーズ・キスリング Moïse Kisling
1891-1953

ポーランドに生まれ、南フランス サナリーにて没。
ポーランドのクラクフにユダヤ人として生まれる。同地の美術学校で印象派の影響のもと絵画を学ぶ。1910年パリに出て後は、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラック、またアメデオ・モディリアーニらと親しく交流。エコール・ド・パリを代表する画家として活躍する。誠実で社交的な性格から、そのアトリエには多くの芸術家が集った。第一次世界大戦では自ら志願し、外人部隊に従軍。その軍功により1924年にフランス国籍を取得する。第二次世界大戦中はアメリカに亡命。ニューヨークのアトリエは、フランスから亡命した知識人たちのサロンとなった。また、フランスに残留した芸術家たちの支援活動にも積極的に関わる。大きな瞳をもつ女性像は、憂いをおびた表情をもつとともに官能性をそなえており、鮮やかな色彩のコントラストと、つややかな質感をもつマティエールが特徴的である。

モイーズ・キスリング《休息する少女》1927年、山王美術館蔵

休息する少女

1927年
油彩、カンヴァス
54.5×73.0㎝

Resting Girl

1927
Oil on canvas
54.5×73.0㎝

濃紺のドレスを身にまとい、深い藍色の背景のなかに横たわる少女像。クッションに肘をつき、右腕に頭を預けた姿が明暗のなかに浮かびあがり、濃厚な色と相まって陶器のような質感をもつ肌の美しさが一層際立ちます。子どもと大人の女性のはざまでゆれる少女期の心情そのものが、モデルの性格や個性を超越した、普遍的な存在として体現されているかのような強い印象を観る者に与えます。

モイーズ・キスリング《二人の少女》1941年、山王美術館蔵

二人の少女

1941年
油彩、カンヴァス
86.0×64.5㎝

Two Young Girls

1941
Oil on canvas
86.0×64.5㎝

第二次世界大戦下、亡命先のニューヨークで描かれた作品の一つです。キスリングの作品は陶器のような滑らかなマティエールと鮮やかな色彩の対比を特徴とします。本作では少女の髪と衣装に、栗色と漆黒、真紅と黒と強いコントラストによる色彩を用いて、緊張感ある画面を構成しています。さらに、わずかに首を傾げた少女の不安そうなまなざしと、その不安やいたみを受けとめるかのように寄り添う少女の表情が強い印象を与えます。アメリカ亡命中にキスリングは「よそ者」という言葉を用いて、いずれにも帰属することのできない自らの存在についての苦悩を吐露していますが、自身の不安感や寂寥感をも内包しているかのようです。

モイーズ・キスリング《ミモザとパンジー》1937年、山王美術館蔵

ミモザとパンジー

1937年
油彩、カンヴァス
50.0×61.0㎝

Mimosas and Pansies

1937
Oil on canvas
50.0×61.0㎝