山王美術館

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佐伯 祐三 Saeki Yuzo
1898-1928

大阪に生まれ、パリ郊外にて没。
中学校在学中に赤松麟作の画塾でデッサンを学び、1917年に上京後は川端画学校で藤島武二に師事する。翌年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、同校を卒業後の1923年にフランスへと渡る。里見勝蔵の紹介でモーリス・ド・ヴラマンクの元を訪れた際に、自身の作風を批判されたことを契機として画風が大きく変貌していく。1925年にサロン・ドートンヌ初入選。1926年に一時帰国した後は、里見勝蔵らとともに「一九三〇年協会」を結成する。1927年にふたたび渡仏し、旺盛に制作活動を続けパリの街角を奔放かつ情熱的に描いたが、翌年持病の結核が悪化し30歳の生涯をとじた。

佐伯祐三《オニー風景》1925年、山王美術館蔵

オニー風景

1925年
油彩、カンヴァス
53.3×65.2㎝

Landscape of Osny

1925
Oil on canvas
53.3×65.2㎝

1923年にフランス留学を果たした佐伯祐三。モーリス・ド・ヴラマンクから「アカデミック!」と容赦なく批判の言葉を浴びせられたことをきっかけに自らの画風を求めるようになります。失意の中、ヴラマンクの写生地を訪ねながらその影響を多大に受けた荒々しいパリ郊外の風景を描きました。

佐伯祐三《巴里街景》1924、山王美術館蔵

巴里街景

1924年
油彩、カンヴァス
60.0×72.7㎝

Street Scene in Paris

1924
Oil on canvas
60.0×72.7㎝

佐伯祐三《パリの街角》1925年、山王美術館蔵

パリの街角

1925年
油彩、カンヴァス
65.5×91.2㎝

Street Corner in Paris

1925
Oil on canvas
65.5×91.2㎝

本作は1926年9月に開催された第13回二科展に出品した滞欧作19点の内の1点にあたります。画面左側に正面向きの壁、右手側に連なる建物を遠近法を用いた構図で描き、歩道上の点景人物、ひと際目を引く赤い看板、躍るような文字、薄汚れた壁 や窓、まっすぐ奥へと伸びる石畳などパリの日常を単なる情景描写に留まらない佐伯独自の画風で描き上げています。

佐伯祐三《アネモネ》1925年、山王美術館蔵

アネモネ

1925年
油彩、カンヴァス
60.5×50.2㎝

Anemones

1925
Oil on canvas
60.5×50.2㎝

雨の日など屋外で制作ができない日はアトリエで花瓶に活けた花や油絵の道具、人形など身の回りにあるものを題材に静物画を描きました。茶褐色や黒、灰色で描かれた背景の壁は佐伯の好んだパリの古い裏街の壁や塀を、見る者に連想させるでしょう。静物画であっても佐伯らしい荒々しい筆致により佐伯の追い求めた佐伯独自の画風へと昇華しています。

佐伯祐三《滞船》1926頃、山王美術館蔵

滞船

1926年頃
油彩、カンヴァス
53.0×65.3㎝

A Ship at Anchor

c1926
Oil on canvas
53.0×65.3㎝

佐伯祐三《オプセルヴァトワール》1927年、山王美術館蔵

オプセルヴァトワール附近

1927年
油彩、カンヴァス
60.3×73.4㎝

Near the Observatoire

1927
Oil on canvas
60.3×73.4㎝

1927年7月末、佐伯祐三は体調を心配する母を説得して2度目のパリに渡ります。10月にはブルヴァール・デュ・モンパルナス162番地のアトリエ付きアパートに入居しますが、このアトリエからはモンパルナス墓地やリュクサンブール公園の森が一望でき、近くにはカフェや広告で埋められた壁など佐伯の制作意欲を刺激するモティーフが点在した絶好の場所でした。幾層にも描き重ねられた樹木や行き交う人々は鋭く強い黒の線で描かれ、画面全体は墨絵の様な印象を与えます。深い闇のような街並みに印象的な黒ずんだ白い壁、ところどころに見えるオレンジや赤の配色からは佐伯の繊細な色彩感覚が見てとれます。