山王美術館

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上村 松園 Uemura Shoen
1875-1949

京都に生まれ、奈良県生駒郡にて没。
本名は津禰(常子とも)。
1887年京都府画学校(現・京都市立芸術大学)に入学、四条派の鈴木松年に師事する。翌年、松年の退職に伴い同校を退学し、松年門に入り、松園と号す。1893年に幸野楳嶺に入門するが、楳嶺の死去に伴い、同門の先輩であった竹内栖鳳に学ぶ。15歳で第3回内国勧業博覧会出品作が一等褒状を得るとともに、英国皇太子買い上げとなる。その後も国内外の博覧会で受賞を重ね、その実力を認められる。1907年の文展開設後は文展を代表する作家の一人として活躍。謡曲に取材した格調高い女性像や気品ある市井の女性を主題に、清澄な美人画を描き続けた。1948年には女性として初の文化勲章を受章している。

上村松園《美人納涼図》1916-26年頃、山王美術館蔵

美人納涼図

1916-1926年頃
絹本彩色
48.8×36.0㎝

Cool Breeze in the Evening

c1916-1926
Color on silk
48.8×36.0㎝

美人画研究のため、博物館・寺社・市井の古画屏風などを熱心に模写し、独自に研鑽を重ねた上村松園。浮世絵にも広く学び、自身の作画へと反映させていきます。本作にみられる「柳下美人図」も、宮川長春、勝川春章はじめ、多くの浮世絵師が手掛けている画題です。うちわを手に夕涼みの時を過ごす、日本髪の女性。風にゆれる柳葉が涼味を感じさせます。笄髷(こうがいまげ)系の髪型、後方へ長く突き出した鷗髱(かもめづと)から、江戸期の宝暦から明和頃の風俗と考えられ、半襟、蝶文様の絞染め、黒い斑が入った櫛・笄と細部にいたるまで表現されています。浮世絵では全身像で表されますが、松園は半身像の構図で描いています。古画の構図に着想を得ながらも松園独自の美人像へと昇華していく、その試行の過程を本作にも見ることができます。

上村松園《献燈》1944年、山王美術館蔵

献燈

1944年
絹本彩色
109.3×36.9㎝

Offering

1944
Color on silk
109.3×36.9㎝

灯芯にともる明かりを絶やさぬよう一心に見つめ、燭台をはこぶ二人の女性。桃山時代の扮装で描いたという《焔》(1918年、東京国立博物館蔵)と同じく、長円形の眉に、前髪を振り分けにし、黒髪を頭頂で一つに束ねた根結(ねゆ)いの垂髪(すいほつ)姿で描かれています。終戦前年の1944年、松園は本作と同構図の絵画を京都霊山護国神社に献納しています。灯明を献じることは重要な供養ともされますが、戦火のなか失われていく尊い命を悼み、弔う気持ちを本作に重ねたのでしょうか。「芸術を以て人を済度する。これ位の自負を画家はもつべきである」と記した松園。二人の女性を囲むのは、混沌とした時代さながらに、そこはかとない闇なのかもしれません。それでもなお、希望というかすかな光を絶やすことなく、大切に守りながら、一歩、一歩、前へと進んでいるのです。迷いや苦しみから人々を救い、光に満ちた未来へと導く役割を、女性像に託したとも考えられます。

上村松園《よそおひ》1949年、山王美術館蔵

よそおひ

1949年
絹本彩色
50.0×57.0㎝

Dress up

1949
Color on silk
50.0×57.0㎝

燈籠鬢(とうろうびん)に島田系の髷、後ろへ垂らし先を切り揃えた前髪から若い娘像であることが分かります。艶やかな黒髪、鼈甲(べっこう)の黄色、着物の青と抑制された色使いながら、緋色の鹿の子絞り、紅梅のつぼみのような唇、朱色の帯、襦袢の赤と、随所に赤が配され、清澄な色彩の中にも生命感を与えています。また着物の下塗りにも赤を用いることで、青の色味が深みを増すと共に、艶やかな絹織物の質感が加わり、人体の立体感までも感じさせます。さらに流麗な線描が、こうした色調の効果を支えています。一本の線描もおろそかにすることなく追究する松園の作画姿勢が、画面の隅々にまでみなぎり、高い品格と格調を示しているのです。