山王美術館

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ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir
1841-1919

フランス リモージュに生まれ、南フランス カーニュ=シュル=メールにて没。
13歳で陶器絵師の見習いとなる。1861年よりシャルル・グレールの画塾で指導を受け、そのかたわら1862年にはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学する。グレールの画塾ではモネらと交友を深める。印象派展に参加するかたわらサロンにも断続的に出品し、1879年のサロンでの成功を契機に肖像画家としても成功を収める。印象派の表現に行き詰まりを感じていたルノワールは、1881年のイタリア旅行を機に古典主義的な傾向を目指すようになる。1890年代に入るとふたたび暖かい色調に戻り、やがて色彩豊かな世界へと移行する。1903年南フランスのカーニュ=シュル=メールに拠点を移して以後は赤や緋色がいっそう強さと輝きをまし、少女や浴女、花、風景などを多く手がけた。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《若い女性》1877年、山王美術館蔵

若い女性

1877年
油彩、カンヴァス
58.5×25.0㎝

Young Woman

1877
Oil on canvas
58.5×25.0㎝

ルノワールは、1877年の第3回印象派展に出品した《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年、オルセー美術館蔵)において、現代的な衣装に身をつつんだ男女の姿を生き生きと描写しましたが、ドレスの裾を持ちあげ、こちらへと視線をむける本作の女性像からも、日常の一場面を切り取ったかのような動きとリアリティーが感じられます。当時流行の黒色のドレスは腰の後ろを丸く盛りあげたバスル・スタイル。襟元と袖口に真っ白なレースをあしらい、首もとには金色のペンダントトップ、帽子も手袋も黒色でコーディネートされています。ルノワールは絵具の濃淡によりドレスを描写しており、カンヴァスが透けるほどに薄く溶いた絵具で描かれた部分を効果的に用いながら、濃紺や白色をこまやかな筆致で塗り重ねていくことで、女性の動きにあわせて変化するドレスのひだの陰影を表現しています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《鏡の中の婦人》1877年、山王美術館蔵

鏡の中の婦人

1877年
油彩、マクリーンセメント
46.5×52.5㎝

Woman in a Mirror

1877
Oil on MacLean cement
46.5×52.5㎝

建築装飾に用いられたイギリス製の「マクリーンセメント」を支持体として描かれた作品です。ルノワールにとって、フレスコ画のような効果をもつマクリーンセメントは魅力的な素材だったのでしょう。1877年の間に、同素材を用いて少なくとも5点の制作を試みています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《チャペルのある風景》1899年、山王美術館蔵

チャペルのある風景

1899年
油彩、カンヴァス
32.7×41.7㎝

Landscape with a Chapel

1899
Oil on canvas
32.7×41.7㎝

ピエール=オーギュスト・ルノワール《果物をもった横たわる裸婦》1877年、山王美術館蔵

果物をもった横たわる裸婦

1888年頃
油彩、カンヴァス
58.3×150.0㎝

Reclining Nude with Fruits

c1888
Oil on canvas
58.3×150.0㎝

ルノワールは、1881年から翌年にかけて旅したイタリアで、ラファエロの絵画やポンペイの壁画にふれ、大きな感銘を受けます。1883年頃には印象派の技法に限界を感じますが、やがてデッサンを強調し、明確な輪郭線を用いた人物表現を特徴とする古典的様式へと傾倒していきました。「アングル様式」ともよばれるこの様式は、《大水浴》(1884-1887年、フィラデルフィア美術館蔵)を頂点として、女性像が風景のなかに融合し、画面全体が統一感をみせる、晩年の画風へといたるのです。本作は後期から晩年に数多く描かれた、豊潤な裸婦像へと連なる転換期にあたる作品といえるでしょう。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《読書(赤とローズのブラウスを着た二人の女性》1918年、山王美術館蔵

読書(赤とローズのブラウスを着た二人の女性)

1918年
油彩、カンヴァス
54.4×67.7㎝

Reading - Women in Red and Rose Blouses-

1918
Oil on canvas
54.4×67.7㎝

ピエール=オーギュスト・ルノワール《裸婦》1918年、山王美術館蔵

裸婦

1918年
油彩、カンヴァス
92.8×73.2㎝

Nude

1918
Oil on canvas
92.8×73.2㎝

描かれているのは、ルノワール最晩年のモデルをつとめたアンドレ・ウシュランです。デデの愛称で親しまれた彼女が、ルノワールのためにポーズをとりはじめたのは、1915年頃のことでした。後に、映画監督として有名なルノワールの次男ジャンと結婚し、女優カトリーヌ・ヘスリングとして活躍しました。晩年のルノワールが用いた、油でうすく溶いた透明な絵具を塗り重ねる、伝統的な絵画技法「グラッシ」で描かれた本作は、豊麗な色彩により生命の豊かさ、生きる悦びを、あますところなく描きあげた作品といえるでしょう。