モイーズ・キスリング《休息する少女》1927 /山王美術館蔵

2015秋・冬季コレクション展 東西美人画展 ルノワール、キスリング、
小磯良平から上村松園まで

期間 2016年3月1日[火]~2016年7月29日[金]
開館日 毎週 月曜日~金曜日(月~金曜日の祝日は開館)
*2016年3月1日より開館日・休館日が変わります
開館時間 11時~17時(入場16時30分迄)
休館日 毎週 土曜日・日曜日
入館料 一般 1,000円 大学・高校生 500円
中学生以下 無料(大人同伴)
*学生証をご提示ください。
*受付にてチケットを販売しております。
*ご宿泊、レストランなどホテルご利用のお客様には、優待券をご用意しております。

ルノワール展出品リスト

〒556-0017
大阪市浪速区湊町1-2-3 ホテルモントレグラスミア大阪22F
TEL 06-6645-7111(ホテル代表)

ルノワールは絵画について「愛らしく、喜ばしく、かわいらしいものでなければならない」と語っています。描くことに自身の生きる悦びを見出し、描くことを愛したルノワールの作品は、わたしたちに光と色彩に満ちあふれた、幸福感につつみこまれるような時間をもたらしてくれます。まさに生命の豊かさ、生きる悦びへのおしみない讃歌といえるでしょう。
本展では、若き日のルノワールによる《鏡の中の婦人》、晩年の傑作《裸婦》、さらに新たにコレクションに加わった《果物をもった横たわる裸婦》まで、当館所蔵作品のなかより、一堂に展示いたします。 ルノワールの愛に満ちた世界につつまれてみませんか。

裸婦

1918年

ルノワールの画風は、ラファェロ、ティツィアーノ、ルーベンスをはじめとするルネサンスの巨匠に影響を受けながら、印象派の時代から古典的なスタイルへと変化していきます。さらに晩年に南フランスに居を構えてのちは、ギリシア文明を讃えるようになり、自らの制作も"生命讃歌"が主要なテーマとなりました。
本作のモデルはアンドレ。通称デデと呼ばれたこの女性は、1915年よりルノワール最後のモデルをつとめはじめ、この絵が描かれた当時、まだ17歳の若さでした。アトリエで流行の歌を歌ったり、陽気に友達の話をしたりと、明るく活発な空気をもたらしました。ルノワールは光を吸い込むかのような肌をもったデデをモデルに数多くの作品を描き、この絵を背景に二人一緒にアトリエで撮影された写真も残されています。デデは後に女優となり、ルノワールの次男で、フランスを代表する映画監督ジャン・ルノワールと1920年に結婚しています。
マチスはルノワールの後期の裸婦像について「誰もがなしえなかった愛らしい裸婦像」と語っていますが、豊麗な色彩を用いて生命の豊かさ、生きる悦びを、あますところなく描き上げた作品といえるでしょう。絵の具をうすく何度も塗り重ね、うっすらと光る空気のような効果をもたらす手法で描きあげられた本作からも、作家が到達した世界を見ることができます。

裸婦

果物をもった横たわる裸婦新コレクション

1888年

果物をもった横たわる裸婦

1874年の第一回印象派展から7年後の1881年秋にイタリア旅行でラファエロをはじめとするルネサンスの巨匠の作品に感銘を受けたルノワールは、印象派からの脱却を試みるようになります。デッサンを強調し厳格な輪郭線と堅固なフォルムをもった人物表現と、色調をおさえた画面構成による古典的様式へと傾倒していくのです。「アングル時代」とよばれる、ルノワールのこの様式は1887年に描かれた《大水浴図》(フィラデルフィア美術館蔵)を頂点に、1890年代以降は印象派の時代を思わせる筆触を強調し、おだやかな色彩表現による人物像へと変化していきます。
ルノワール自らが「制作の破たん」と評するこの時代を経て、風景の中の裸婦像という伝統的なテーマを、調和のとれた穏やかな色彩表現により、女性像と風景の効果的な統合を目指すようになります。本作は晩年の豊潤な裸婦像へと連なる転換期にあたる重要な作品といえるでしょう。

鏡の中の婦人

1877年

鏡の中の婦人

当時の装飾図や壁画はキャンヴァスを張ったものに描いた後に、壁の表面に張り付けられる手法がほとんどでしたが、本作は大理石や石の表面の感触を模すために新たに用いられたセメントを支持体とする上に薄く彩色されており、近代フレスコ芸術を創造しようとしたルノワールの初期の試みをみることができます。かつてジョルジュ・シャルパンティエ家の壁画に嵌め込まれた装飾図の一部と考えられます。 19世紀後半のパリ画壇においては、「装飾的」「装飾家」ということばは軽蔑的に用いられていましたが、ルノワールは芸術の基礎として職人の手仕事を重視しました。また敬愛するルーベンス、ブーシェ、ドラクロワ、ラファェロらが一様にすぐれた装飾絵画を残していることから、自身もまた学生時代にパリ市内の多くのカフェの壁面装飾を手掛けたことを公言していたのです。

読書ー赤とローズのブラウスを着た二人の女性

1918年

読書ー赤とローズのブラウスを着た二人の女性

「私は赤という色を響かせたい」とルノワールは語っていますが、本作は晩年に好んで描いたモデルのアンドレ(通称デデ)を主体に、赤や橙系の色彩を用い生命力に満ちた画面が構成された、ルノワール最晩年の作品です。
1915年に最愛の妻アリーヌがこの世を去り、傷心するルノワールのアトリエに活気をもたらしたのが、モデルのアンドレでした。写真屋に勤めながらニースの美術学校でモデルの仕事もしていたアンドレは、画家マチスが女性モデルの派遣を美術学校に依頼してきたことを知り、マチスの家を訪問しました。アンドレを一目見たマチスは「ルノワール向きだ」と言い、レ・コレットのルノワールのもとを訪問することを勧めます。亡妻アリーヌとの類似点を見出したルノワールは、理想の女性像をアンドレに求め、光を吸い込むかのような肌をもった彼女をモデルに数多くの作品を描いたのです。

チャペルのある風景

1899年

チャペルのある風景

村の入り口

村の入り口

村の入り口新コレクション

村の入り口

モイーズキスリング(1891-1953)

《休息する少女》1927

モイーズキスリング《休息する少女》1927/山王美術館蔵