展覧会のご案内

山王美術館 秋・冬季コレクション展 2016 横山大観展

期間
2016年91日(木)〜2017年131日(火)
開館日
毎週 月曜日~金曜日(月~金曜日の祝日は開館)
開館時間
11時~17時(入場16時30分まで)
休館日
毎週 土曜日・日曜日、年末年始(12月29日~1月1日)
入館料
一般1,000円 
大学・高校生500円 
小・中学生500円(保護者同伴に限り2名様まで無料)
※学生証をご提示ください。
※受付にてチケットを販売しております。
会場
山王美術館 ホテルモントレグラスミア大阪 22F 〒556-0017大阪市浪速区湊町1-2-3 
お問い合せ
TEL 06-6645-7111(ホテル代表)

横山大観展出品リスト

横山大観《三保の霊峰》1949/山王美術館蔵

横山大観《三保の霊峰》1949/山王美術館蔵

明治元年に生を受けた横山大観は明治、大正、昭和と三代にわたり、東洋画の伝統を重んじながらも新しい画風に挑戦し、近代日本画の発展に偉大な功績を残しています。70年にも及ぶ長い画業の中で大観は日本画の伝統的な線描技法ではなく、色彩の濃淡により空気や光を表現する方法を創始します。しかし、そうした試みは当時の人々には受け入れられず非難と揶揄も込めて「朦朧体」と評されました。大観らはその後、細かく丁寧な筆致で絵具を塗りこめていく手法で、対象物の明るい色調とはっきりとした輪郭線をとりもどしていきます。この手法により微妙な色の階調や色彩の対比、空間の奥行きの表現を獲得します。1910年代(明治末頃)には琳派などの装飾的表現を加えることで、色彩を本位とした新たな空間表現を確立していきます。また、水墨画においても墨の濃淡により湿潤な空気感を表現することで重厚さと画格の高い水墨画を生みだしました。
日本画の近代化に正面から取り組み、その苦闘により生み出された作画は、質高く、充実したものであり、いまなお我々を魅了し続けます。
本展では当館収蔵の大観コレクションのなかより初期作品《布袋》から大観の好んだ富士を含む18点を展示します。
横山大観の世界をぜひご覧ください。

  • 横山大観《嵐山》1939頃/
山王美術館蔵

    横山大観《嵐山》1939頃
    山王美術館蔵

  • 嵐山1939年頃

    濃緑で表現された山並みの間から山桜特有の赤茶色の若葉やほのかに紅色に色づいた花びらが見え隠れしています。緑青で描かれた松との間には今にも鳴き声が聞こえてきそうな一羽の鳥が自由に羽を広げて羽ばたいています。嵐山は朋友、冨田渓仙が晩年を過ごした地であり、大観にとっても思い出深い地でありました。中空を飛ぶ鳥は先に逝った渓仙を表しているのかもしれません。大観の花鳥画からは自然を愛する画家の温かな眼差しと自然に対する真摯な姿勢がうかがえます。春の心地よい風と新緑の香りを感じることのできる叙情的な作品です。

  • 横山大観《布袋》1904頃/
山王美術館蔵

    横山大観《布袋》1904頃
    山王美術館蔵

  • 布袋1904年頃

    岡倉天心の「空気や光を表現する方法はないか」という言葉に菱田春草とともに大観が取り組んだ方法は日本画の伝統的な線描技法ではなく、色彩の濃淡により空気や光を描き出す没線描法でした。古来の日本画の線描は物理的な輪郭や質感を表現する以上に精神性の意味合いが強く、これに対し彼らの生み出した技法は受け入れられることはなく「朦朧体」と揶揄されます。その後訪れた海外では高い評価を得るも国内で評価を確立するには1910年代まで待つ必要がありました。
    この作品は中国唐時代の実在の人物である布袋が小舟から月を眺めている様子が描かれています。線描をほとんど使わず、従来であれば余白として残される空間を空刷毛によるぼかしを多用することで、小舟から月までの空間に靄がかかったような空気感を醸し出し、時を忘れて、いつまでも眺めていたいようなあたたかな世界観が表現されています。

  • 横山大観《嵐山》1939頃/
山王美術館蔵

    横山大観《東山》1932〜35頃
    山王美術館蔵

  • 東山1932-35年頃

    大観の語る「墨に五彩あり」という言葉は中国唐の時代の張彦遠の記した『歴代名画記』における水墨画の定義です。「五彩」とは本来、青・黄・赤・白・黒の五色のことを指しますが、水墨画はこれらの色を使用せず、墨のみで五色を使ったと同等の表現をするところにその魅力があります。大観もまた、水墨画は濃淡渇潤により色彩以上に複雑に変化し、色彩を超える実在感を端的かつ微妙に表現できると語っています。
    この作品は濃淡の墨色で雲煙にけむる京都の東山を堂々たる風格で表現しています。深い情緒と京都独特の湿潤な空気の重みを見事に描きあげた作品となっています。

  • 横山大観《不二霊峰》1905頃/
山王美術館蔵

    横山大観《不二霊峰》1905
    山王美術館蔵

  • 不二霊峰1905年

    大観といえば、富士山といえるほど多くの作品を残しています。1895年の「武蔵野」にその姿をあらわして以後、1000点以上の富士を描いたといわれています。昭和に入り、大観の抱く精神主義から富士は頻繁に描かれるようになり、その魅力を生涯追求し続けました。絶筆となった作品も「不二」であり、病床の中、目をつむりながら指で宙に富士山の輪郭を描くほど富士への愛着と制作への執念をみせたほどです。大観にとって「無窮の美」を誇る富士は、日本の象徴であり、尊敬してやまない岡倉天心であり、自分自身の心を映すものでもありました。
    1905年に描かれた本作は富士山を本格的に描き始めた最も古い時期の作品です。日本では不評であった朦朧体を克服するかのように、色彩で明暗をはっきりとさせた斬新な構成で、まばゆいばかりの富士の姿が悠々と描き出されています。

  • 横山大観《日本心神》1946/
山王美術館蔵

    横山大観《日本心神》1946
    山王美術館蔵

  • 日本心神1946年

    「心神」とは魂のことであり、古くは富士を指した言葉でした。この作品が描かれた敗戦直後という苦難の時代の中でも、富士は日本の象徴として「無窮の美」を誇り、変わろうとする新たな日本への期待とたおやかなる平和の象徴として描かれています。

  • 横山大観《東海乃曙》1942頃/
山王美術館蔵

    横山大観《東海乃曙》1942頃
    山王美術館蔵

  • 東海乃曙1942年頃

    太平洋に面した茨城県五浦での生活以来、大観にとって千変万化し果てしなく広がる海は大切な主題であり、人生流転の象徴でもありました。大観は海の様々な表情を描き分けています。この作品が描かれた前年、日本は太平洋戦争へと突入します。この頃、大観は帝国主義の道を進む日本の姿勢に呼応するかのように自身の作画姿勢も従来の精神主義を強め、国民へ向けて戦意を鼓舞する絵を多く描いています。本作も右寄りにかしいだ松と、大きく打ち寄せる波、ほんのりと朱に染まる曙の空に飛び交うカモメの群れなど何気ない道具立ての中に太平洋戦争へと突入した緊張感や高揚感をそこはかとなく漂わせています。