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生命の火を燃え尽くすかのように、純粋に、ひたむきに描き続け、わずか30年の生涯を、パリの地で終えた佐伯祐三。本展覧会は、1923年にはじめて渡仏し自己の芸術を模索した第一次滞欧期、1926年の一時帰国期、1927年に再渡仏し彼の地で没するまで描き続けた第二次滞欧期、それぞれに描かれた佐伯祐三の作品15点を一堂に展示するものです。
大阪・中津の名刹の次男として生まれた佐伯祐三は、府立北野中学(現・北野高校)在学中より本格的に画塾でデッサンを学びはじめます。1917年には上京し、川端画学校で藤島武二の指導をうけ、翌年には、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学します。卒業後の1923年にフランスへと渡った佐伯の画風は、野獣派(フォーヴィズム)の巨匠ヴラマンクの元を訪れた際に、自信作を「アカデミック」と一喝されたことが契機となり、大きく変貌していきます。自己の芸術を見出すため葛藤、模索し、やがてパリの下町をモチーフに描き続けるようになるのです。1926年には健康上の理由によりやむなく一時帰国するものの、翌1927年には再度パリへと渡り、サロン・ドートンヌに出品し入選するなど、旺盛に制作活動を続け、パリの街角や古い壁、郊外の建物や教会のある風景を、奔放かつ洗練された筆勢をいかし描きましたが、1928年に持病の結核が悪化し、30歳の生涯をとじました。
スケッチ旅行を共にするなど、親交のあった荻須高徳は「佐伯さんはいつもこう言っていた」と、語っています。「ぼくの絵は純粋か、純粋でないか。本当か本当でないか、それを言ってくれ」と。30年という短い生涯を、「描くこと」ただそれだけに、純粋にささげた、佐伯祐三の芸術を、心ゆくまでご鑑賞ください。
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「閉月羞花―月は雲間にかくれ、花もはじらってしぼんでしまうほどの美しさ…」。
女性の美しさをあらわした絵画は、洋の東西を問わず描かれましたが、美人画と称するのは日本発祥の呼び方といわれています。本展では、市井の女性を主題に気品ある美人画を描いた「上村松園」、現在の女性風俗を艶やかに表現した「伊東深水」、近代的な感覚を取り入れ、清明かつ格調高い「小林古径」の作品を中心に展覧いたします。

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茶の湯のさかんな島根県・安来町に生をうけた河井ェ次郎は、1920年、30歳のときに、京都・五条坂の一角に鐘渓窯と名づけた窯をもうけ、以後1966年に没するまで50年もの長きにわたり、色鮮やかな釉薬を用い、手法や作調さまざまに多種多彩な焼物を創りつづけました。30代半ばでの柳宗悦との出会いにより、民芸運動を推進したのちは、古陶磁の追求から民陶の美へと作風を転回し、民衆の無名陶に仕事の理想をもとめ、自由闊達に表現しました。世俗的な名誉や地位に重きをおかず、無位無官の陶工として、純粋に自由に生きた河井ェ次郎の魅力をお楽しみください。


